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八人の言葉たち そこには七人の外国人がいて、僕をじっと見つめている。僕は足がすくんでしまって、一言も喋ることができなくなる。だって想像してみて欲しい、七人の外国人だよ。しかも全員が違う国籍で、まったく別々の言語を話すんだ。始めの挨拶だってまともにできやしない。この輪の中では、全ての言葉が、それこそドライアイスみたいに溶けてなくなっちゃうんだ。僕たちは、言葉が言葉として機能しない場所にいて、ただただドライアイスの煙を眺めているだけなんだ。阿呆らしいって、僕も思うよ。こんなの、すごく阿呆らしい。 僕の真向かいにいる、ゆるいウェーブのかかった金髪と青色の瞳を持った、華やかな印象の女性が、唇を開く。彼女は百人にひとりいるか、いないかってぐらい、美しい顔立ちをしている。けれどもちろん、彼女だって七人の外国人のうちのひとりだ。彼女は何かの言葉か、あるいはただの音のようなものを口にする。 ――アー、ンー、ウーアイーニルカ、ケキュイオ……クォギル、カ? 僕たちはそれぞれ、目をぱちくりとさせてお互いの顔を見合わしたよ。いま、彼女はなんていったんだ? 右隣りに座る、髪の毛が薄く鼻の高いおじさんが、僕に懐疑的な視線を向ける。しかし僕にだって、彼女の言葉はわからない。わかるはずがないんだ。乱れ始めた陰湿な空気が、僕の肺に白煙を散らす。居心地の悪いムードになった輪の中で、謎の問いかけをした彼女だけが頬にえくぼを溜めてにこにこと笑っている。 彼女の隣りに座っている、赤毛をポニーテールにまとめた小さな女の子が、彼女の膝を叩いた。なぁに、とでもいうように、女性は首をかしげて女の子を見る。女の子は、彼女の耳に手を近づけて、そこに言葉を吐きこんだ。本人は内緒話をしているつもりなのかもしれない。けれど、残念なことに女の子の声は大きくて、僕らの耳にも余裕で届く。 ――ウギーピピィル、パ、ポ、ヒリンクォ、イーイーアァ? こちらもまったく、不可解な言語だったね。こんなに奇妙な言葉を平気で交わす国が、いったい世界のどこにあるっていうんだろう? それは耳打ちされた女性も同じだったようで、彼女は実に悲しそうな顔をして、女の子のあどけない上目遣いを受けながら、ゆっくりと首を横へ振った。彼女は本当に、唇を引き結んで力いっぱい悲しそうな表情をするんだ。そんなの、僕だって悲しくなっちゃうよ。美人の悲しそうな顔なんてね、僕は見るのも嫌だったね。 それからは、しばらくの間、誰も何もいわなかった。僕と七人の外国人は互いに、自分の言語がドライアイスであることを分かっていたんだ。結局、自分の声は誰にも届かないってことに。そうすると、まったく喋る気なんか失せちゃうよ。僕は膝の上で、両手の拳を握っていた。その手の平にすら、だんだんと冷や汗が滲んできた。それぞれ色の違う十四個の瞳が、僕の頭上を過ぎ去っていく。それって、実際に体験しなくちゃわからないかもしれないけど、すごく不思議な心地がするんだ。彼らの持つ色は、それほど豊かでバリエーションに溢れているんだ。眩しいぐらいの色彩だよ、それが僕の視界を一斉に覆うんだよ。これって本当に、堪ったものじゃないよ。 ――ウ、グアゥイッヒックッヌオ……ミミィルケッスシ、ナァン。 もう僕は、その言葉を誰が発したのかすら分からなかった。だって僕は、ずっと下を向いていたんだからね。僕は目を閉じて、暗闇の中でじっくりとその言葉を聴いてみた。僕はそこに、ほんの一欠片でいいから、僕の理解できる何かの感情が残ってはいないかって、必死で探したんだ。まるで、言葉の残滓をしぼりとるみたいに。たぶん、僕は悔しかったんだろうね。だから、ふと気が付いたら、僕は立ち上がっていた。 「あなたたちは、辛くはないのですか?」 七人の外国人は、一斉に僕を見たよ。それぞれに、驚いたり怯えたり、はたまた恨んだような瞳を浮かべながらね。彼らは僕の言葉を理解しちゃいなかった。それは、彼らが僕を見る、珍妙な動物でも眺めるかのような表情で、すぐに分かった。僕にとっての言葉であるものは、この人たちにとってはただの音でしかないんだ。僕の言葉たちは、空気に触れた途端に、やっぱり無意味なドライアイスになっちゃうんだ。 けれど、僕は話し続けなければならない。たとえ、それが僕の周りですぐに消失してしまうものだとしてもね。恐れちゃいけないんだ。ここでは常に、誰かが喋り続けなければならないんだ。そうすることが、あるいはこの状況における正解であり、真実なのかもしれないんだ。本当だよ。本当に、僕はそう思ったんだよ。ここはただの言葉ではなくて、ドライアイスのような言葉たちが伝わるべき場所なんだ、ってね。 「あなたたちは、この状況を侘しく、切なくは思わないのですか。僕たちは互いに敵対心を持っているわけじゃないでしょう。あなたたちがどうかは分からないけれど、少なくとも僕は、ここにいるあなたたちと話したいって思っています。できれば、僕はあなたたちと会話をしたいんです。ちゃんとした、正当な会話を、僕は切実に望んでいます。あなたたちは、それを望みはしないのですか。この場に、僕たちの正当な言葉を求めないのですか?」 僕は、七人の外国人たちをゆっくりと見回す。彼らは戸惑っている。彼らにとって、僕の言葉はただの、とても尋常じゃない音のひとつに過ぎないんだから、困惑するのは当たり前なんだ。きっと、彼らの耳には、僕の言葉がこんな風に聴こえているんだよ。 ――ザザヌルニ、イーイーツクゥオ、ピハルキィルアッミヅッキニ、ハーキキウー、イニヌルォピッピッピーホゥ、カジィルパーリーイーキァ……ア、ハチォ、グルル? ――ってね、まぁ、そんな具合だよ。 恐らく、ここでは全ての言葉が、まったく別のものに変化しちゃうんじゃないかな。言葉が言葉であることをやめちゃうんだよ。言葉が煙になって、どこかに行ってしまうんだ。だから僕らは、音は出せるけれど言葉が出せない。もちろん、自分自身に通じる言葉は出せる。でも、他人に、たとえばここに揃っている七人の外国人に通じる言葉を、僕らは決して出すことができないんだ。 そのことに改めて気付いてしまうと、僕はもう、何のやる気も失ってしまった。自分の喉に、いきなり石ころでも詰められた気分になったよ。こんなもの、何の役にだって立ちはしないんだ。僕はもう、音しか出せない。僕の喉は、いつの間にかただの楽器になっちゃったんだ。きれいな音は出せるけれど、意味のある明確な声は、もうここには存在しない。 ――ネネニキルハ、オズゥ、ミックルニケーイン、ァウ、キィハッ! 突然、七人の外国人のうちのひとりが、一際大きな音でそう言った。本当に、耳が千切れちゃうんじゃないかっていうぐらい、それはすごく大きな音だったんだ。僕はとてもびっくりしたけれど、そうしたら、もっと驚くべきことが起こった。僕の左隣りに座っていたノッポのお兄さんが、いきなり、僕の頬を引っ叩いたんだ。パンッて、すごくいい音がしたよ。こんなに強い平手打ち、僕は生まれて初めてだった。本当に、全身の細胞が逃げ出しちゃうんじゃないかっていうぐらい、それは強烈な平手打ちだったね。ああ、いっそのこと、痛快なぐらいだよ。清々しい、ってぐらいだよ。 もしかしたら、僕はそのとき、彼に平手打ちをやり返すべきだったのかもしれない。けれど、僕はそのとき、何だか頬の筋肉が緩んじゃってね。とてもおかしな具合に、僕は笑っちゃったんだ。どうしてかは分からないけれど、すごくおかしかったんだよ。僕は腹までかかえて、しばらくひとりでヒィヒィ笑っていた。そうすると、その笑いはすぐに、七人の外国人に伝染してね。ひとり、またひとりと繋がって、結局は全員が一団になって、ひどく愉快な笑い声を上げていた。不思議なことに、笑い声だけは、それは決して音じゃなかったんだよ。それは笑う音ではなくて、ただ純粋に、ひとつの笑い声だったんだよ。 正当な言葉たちは、たぶん、こういうところに落ちているんだろうって、僕は心底思ったね。言葉は煙になって消えたわけじゃなくて、こういうところにひっそりと溜まっていたんだ。そうやって、奇妙な言葉たちは僕と七人の外国人を待っていたんだよ。じっとね。 「さぁ、会話を続けましょう」と、誰かが言った。 「我々は、八人の人間です。それだけで、十分ではないのですか?」 fin (2009.08.25) |