高校生のススメ

 駅の地下街で寝っ転がるのはナミエの趣味だった。たくさんの人たちの靴底で踏まれて、大学生が捨てたタバコの吸殻とか、サラリーマンの口からペッて吐き出された唾とか、そういう汚いものがいっぱい染み入ったコンクリートの上に、ナミエは平気で自分の体を横たえた。だからナミエの、本当はきれいなはずの茶色い髪の毛は、いつもどこか黒ずんでいた。制服のスカートには、あちこちに白い粉みたいなものが散らばって、あまり趣味がいいとは言えない独特の模様を作っていた。
 そういえばナミエは、いつも制服を着ていた。学校なんてこの三ヶ月、一回も通ってないし、いっても席とか、わかんないよねえ。そんなことを、へらへら笑ってぼやきながら、ナミエは紅色のネクタイをぎゅっと締めて、地下街を歩く女子高生の真似をした。たまに偽物のメガネをかけてくることもあった。こうすると、優等生みたいじゃない。ナミエはやっぱり笑いながら、百円ショップで買った安物のメガネのふちを、指先でゆっくりと撫でた。
 ナミエは、わたしたちの中でもちょっとだけ変わった女の子だったと思う。薄汚れた、出来損ないのお人形みたいな。色のくすんだ、作りかけの女子高生みたいな。
 わたしは女子高生に憧れたことなんてなかったし、たぶん他のみんなだって、軽蔑することはあっても、羨むことはありえなかった。わたしたちは、駅内を通って「ツウガク」する人たちに興味がなかった。そういう人たちは、わたしたちとは違った物語の住人なのだと、たぶん、みんなが自覚していた。
 でも、ナミエは違った。ナミエはできることなら、目の前を通っていくたくさんの女の子たちと同じように、時間を気にしながら歩きたかったのだと思う。制服を着て、紺色のソックスを履いて、指定の通学鞄を持って、髪の毛をきゅってまとめて、耳にイヤホンを突っ込んで、片手で単語帳をめくって――そういう、何の変哲もない女子高生に、ナミエは憧れていた。ナミエはまだ、わたしたちの中で唯一、そういうことを諦めてはいなかった。
「ねえ、ナミエ」
 わたしは、路上に転がるナミエの体を、足の先でちょっとだけ蹴った。ナミエの細い体は、ちょっとの力でも簡単に動く。まるで人間じゃないみたいに。わたしはもう一度、ナミエを突付いて、口の中に放り込んだチュッパチャップスをぐるぐると舌で回した。昨日ケイトに買ってもらったキャラメル味。そのケイトは今、わたしの隣りで黙々と縦長の本を読んでいる。唇にはチュッパチャップスじゃなくて、煙をあげるタバコが、不器用に揺れている。
「おなか、空いた。どっかいこうよ」
「もうすぐしたら、ツキヤが来るよ」
 死体のように動かないナミエの代わりに、ケイトがふと本から視線を上げて言った。つい最近変えたばかりのケイトの髪の毛は、淡い金色に赤いメッシュが一房、あとから無理やり付け加えたみたいに、たくさんの違和感を残して混じっている。何となく、全体的にぐちゃぐちゃしていて、落書きみたいな髪型だと思った。けれど、唇にしている痛そうなピアスよりはまだ似合っているし、どちらにしてもそうした装飾はケイトにとって大切な宝物なのだから、わたしがとやかく言える口は持たない。
「ツキヤ?」
 目の前に転がっていた死体が、突然ぐるりと体を半回転させて、むくっと起き上がった。ショートカットの黒髪が、さらりと淀んだ空気に散らばる。今日のナミエは、メイクすらしていない。おまけに今日も制服を着ているから、駅の地下街に寝転んでさえいなければ、ナミエはまるで普通の女子高生のように見えた。あくまで、見えた、ということだけれど。
「ナミエ、生きてたんだ」
「なみえはそう簡単に死なないよ。死ぬときはぴぃちゃんと一緒に死ぬの」
「だれ、それ」
「なみえのぬいぐるみ。いつも、一緒に寝るの。くまだよ、かわいいの。デディベア」
 ナミエはにこにこと屈託のない笑みを浮かべながら、しばらくぴぃちゃんの話をした。それはほとんど幼稚園児の会話だった。わたしたちの目から見ても、ナミエの言葉はあまりにもつたなすぎた。わたしは、ナミエと初めて話をしたとき、当然のように、彼女は何らかの障害を持っているのだろうと推測した。だけれど、実際には、ナミエはいたって健康な頭脳を携えている。ただ、ナミエは時と場合によって、自分自身をひどく頭の悪い人間に見せる癖があった。
「てゆうか、ねえ、ケイト。ツキヤ、くるの?」
 ナミエの目が、少しだけ輝く。ナミエは、ツキヤのことが好きだ。ふたりが付き合っているのかどうかは知らない。ただ、わたしは一度だけ、ふたりが駅のトイレの近くでキスするのを見たことがある。不衛生な、まったくロマンチックではない場所で、ナミエは静かに目を閉じていた。そのくるっとカールした睫毛の長さだけが、清潔なロマンチックを演出していた。
「来る、って言ってたけど」ケイトはタバコをじりじりと地面に押し付けた。「なんか、ツキヤ今日、学校行くとか言ってたからね」
「わお。優等生だね」
 ナミエの感嘆の声に、わたしも適当に頷いておく。わたしたちの中で、一番頻繁に通学をしているのは、たぶんツキヤだと思う。ツキヤは二週間に一度、調子のいいときだと一週間に一度ぐらいの頻度で、必ず学校に出向く。聴いてもどうせ分からないから、授業はほとんどサボって保健室で雑魚寝をしているらしい。でも、とにかくツキヤはちゃんと、学校に行く。
 わたしはといえば、この二ヶ月間、学校には一度も通っていない。もう学校祭は終わってしまったかもしれない。そもそもわたしは、自分のクラスが学校祭でどんなことをやるのかさえ知らなかった。それ以前に、学校祭が何のためにあるものなのかも、よく分かってはいなかった。たぶん、それは何か、一生懸命にやれば楽しいものなのだろうと思う。一度だけ参加したホームルームのとき、学校祭の話し合いでは、みんなが笑顔で騒いでいたから。何となく、ふわふわと、あの場は楽しい雰囲気だったということだけ、記憶している。
 でも、とわたしは、ちょっとだけ強い視線でケイトとナミエの顔を見る。そしてツキヤを思い浮かべる。でも、わたしたちの中で、学校祭に参加した人はひとりもいない。本当に、誰ひとりとして。その事実が、わたしを強くさせる。だから、わたしは世の中のあらゆる物事に関して、つまらない後悔をせずに済む。
「あ……ツキヤ」
 突然、ナミエが呆けたような声を上げた。ナミエの視線の先には、学ランにショルダーバッグをぶら下げたツキヤがいる。ひょろひょろとした細い体に、目を完全に覆い隠している長い前髪。こちらに向かって歩いてくるツキヤのとなりには、女子高生がいる。ナミエのよりも、もっと短いプリーツスカート。そこから覗く白い足は、腐った色のスウェットに身を包んでいるわたしなんかには、ちょっとだけ眩しい。
「ツキヤ、おかえりぃ」
 路上にぺたんと座り込んで、ナミエはにっと笑った。女子高生は、すごく歪んだ顔をした。ツキヤはナミエを無視して、「ケイト、」と言った。
「おれ、しばらく、お前らには会わねぇことにした」
「何、突然」
「今からでも、遅くないって。センセイが、今からでも進級できるように、課題やれば、単位だけはくれるっていうから」
 女子高生がツキヤの腕をぎゅっと掴んだ。自分のぬいぐるみを、決して手放そうとしない子供みたいに。女子高生はケイトを見て、わたしを見て、そして最後にナミエの顔をじっと見つめた。色の濃い睫毛の先から、何か淀んだものがじゅわっと溢れ出ているように思えた。そして、それは真っ直ぐに、ナミエばかりを突き刺していた。
 ああ、とケイトは本をぱたんと閉じて、言った。
「そういうことね」
「そういうことだ」
 まぁ、またメールするよ。ツキヤはそう言い残して、女子高生に引っ張られるように、その場から立ち去った。片手を振りながら去っていくツキヤの後ろ姿は、わたしの知らないツキヤだった。わたしの知らない、ひとつのカップルが、地下街をのんびりと歩いていく。違和感のない、ふたり分の高校生。
「ツキヤは、偉いねぇ」
 ナミエはいつまでも、そのカップルに手を振っていた。彼らの姿が見えなくなっても、ずっと。わたしはナミエに返す言葉が思い付かなかった。だから、たぶんそのとき、ケイトはわたしの代役を担ってくれたのだと思う。そうだね、とケイトは言った。そうだね、ナミエ。
 ツキヤは、高校生に、戻れたんだね。
 うん、とナミエは言った。そして笑った。


 わたしが学校に行かないことに、大した理由はなかった。それは自然なことだった。眠るのとか、トイレに行くのとか、髪が伸びるのとか、そういうこととまったく同じように、わたしは学校に行かなかった。理由のないことは、説明のしようがない。お母さんとお父さんは、いつまでもその理由についてだんまりを決め込んでいるわたしに、とうとう愛想を尽かしたようで、最近ではわたしの動向に関して、とくに何も口出ししなくなった。
 でも、わたしはお母さんやお父さんと、仲が悪いわけではない。だから両親の悲しそうな顔を見ると、いつも、罪悪感がとがめる。そういうときには、明日は学校に行こうかと思う。明日は晴れるかもしれない、と思うのと同じ調子で、明日は学校に行けるかもしれない、と思う。けれど、一晩寝てしまうと、その意欲はいつも夢の中に置き忘れて、結局はまただらだらと、当たり前のように私服を着る。
 わたしはたぶん、女子高生になることができないのだ。わたしは、無自覚な部分のどこかで、そういうものを拒否している。わたしは、ピーマンと女子高生が嫌い。憎んでいるのでも、嫉妬しているのでもない。そこに理由なんてない。でも、嫌いだ、ということだけは、やけにはっきりとしている。
 だけれど、ナミエは女子高生が好きだ。わたしとナミエとは、そういうところが、大きく違った。
 ケイトはよく分からない。でも、ケイトは、頭が良い。本気でやれば、たぶんケイトは、どこの大学にだって行ける。なのにケイトは、いつまでもここにいる。どうしようもなく汚くて、狭くて、つまらない場所に。ケイトは外見だけで存在を主張しながら、いつまでも、タバコをふかして座っている。
 ケイトはツキヤが高校に通うようになってから、ときどき、ひどく虚ろな目で地下街を眺めるようになった。そういうとき、普段は穏やかなケイトは、ちょっとだけ怖くなった。話しかけると大抵は呻き声をあげて、こちらをじっと睨んでくるから、わたしとナミエは何も言わない。
 きっと、ケイトはツキヤのことが好きだったのだと思う。だから、ひとりだけ抜け駆けにしたツキヤに、ケイトは怒っているのだ。すごく、すごく、怒っているのだ。
 ナミエは、いつまでもツキヤを待っていた。ツキヤ、来ないかなぁ、とナミエは毎日笑顔で言った。でも、ツキヤはいつまで経っても地下街には姿を見せない。一週間目と二週間目は、ナミエはいつでもツキヤの姿を探していた。三週間目になると、ナミエはツキヤの話を一切しなくなった。
 わたしは、一度だけ、ツキヤに連絡を取ろうとした。調子はどう、とだけでも、わたしはツキヤに尋ねたかった。おそらく、それはナミエのためだった。けれど、携帯を開いてから、わたしははっとした。わたしはツキヤのメールアドレスなんて知らなかった。そのことに気付いてしまうと、とたんに、ツキヤはわたしの中で赤の他人になった。よくよく考えてみれば、わたしはツキヤの苗字だって知らなかった。
 わたしたち、というその言葉の中に、ツキヤの名前はもう、残されていない。


 わたしたちがひとり減ってから、二ヶ月が経った。わたしはその間に、一度だけ学校に行った。久しぶりの電車に、久しぶりのバスに、久しぶりの通学路。制服は肌をちくちくと刺した。カーディガンなんて持ってはいなかったから、まだ袖を通したことのなかったブレザーを、仕方なく着た。鏡の前でひとしきり、自分の姿を眺めた。そのとき、わたしは初めて、制服って服装は結構かわいいんだ、ということに気付いた。けれどわたしの地味な茶髪に、かちっとした制服は、ちっとも似合わない。
 教室に入ると、すでに中で騒いでいたみんなの目が、一斉にこっちに向いた。そしてすぐに目を逸らした。わたしは自分の席が分からないから、しばらく教室の入り口で、ぼうっと佇む。みんながちらちらわたしを見る。一分。ナミエの言葉を思い出した。いっても席とか、わかんないよねえ。二分。ツキヤの言葉を思い出した。今からでも、遅くないって。何が?
 三分経つと、わたしはふと教室から出て、荷物を抱えたままトイレに入った。そして、ちょっと吐いた。始業ベルが鳴ってから教室に入ると、担任のセンセイが教壇に立っていた。センセイはわたしを見て、お前の席はあそこだよ、と窓際の一番後ろの席を指差した。おはようございます、とわたしが言うと、センセイはオハヨウと、片言みたいに言った。それだけだった。
 その一日は、あまりにも平和に過ぎた。ずっとロッカーに入っていた教科書を引っ張り出して、前に道端で貰ったシャーペンと教科書とだけで、授業を受けた。半分は眠って、半分は起きていた。休み時間には購買に行って、ごはんを買った。おにぎりは新聞紙みたいな味がした。一度だけ、となりの席の男子が消しゴムを落としたから、とっさに拾ってあげたら、その男子は蛇みたいな目でわたしを睨んで、すごく不器用な声で、ありがとう、と言った。次にこいつが何かを落としても、絶対に手は出さないことに決めた。
 数学のとき、センセイが答えを出す前に、自分で正解が出せた。その日は、それだけ、嬉しかった。
 そして、それから数日後に、ツキヤの姿を久しぶりに見た。
「ねえ」と、ナミエはわたしの名前を呼んだ。「ツキヤが、いるよ?」
 わたしは驚いて、ナミエの視線の方を振り返る。わたしとナミエは、駅前のマックにいた。百円のハンバーガーと、お水とで、三時間。お金はないけれど、時間だけはいくらでもあった。わたしたちは百円で時間を買っていた。時間の置き場所を買っていた。
 ツキヤはレジの前に並んでいた。数人の高校生と一緒に。ツキヤはしっかりと学ランを着ていた。真新しいアディダスのエナメルバッグが、腰のあたりでくたっと揺れている。色を戻した黒髪は、前髪を適度に切りそろえて、ワックスでぴんぴんに立てられていた。そしてツキヤは笑っていた。周りの高校生たちと、おんなじ笑顔で立っていた。
 わたしたちが見ている前で、ツキヤはレジを済ませる。高校生がひとり、トレーを持って、こちらに向かってくる。ツキヤは高校生の後に続く。ナミエが立ち上がった。ツキヤの足が止まった。わたしはお水をすすって、視線を泳がす。高校生のうちのひとりと、目が合う。向こうがにやり、と笑う。高校生のくせに、下品な笑い方をする。
「ツキヤ」
 そう言って、やっぱり、ナミエは笑った。ナミエは笑う以外の表情を知らないみたいだった。
「久しぶりぃ」
 ツキヤは何も言わなかった。まるでナミエの言葉が耳に入らなかったみたいに、ナミエのことなんて視界に映らなかったみたいに、そのまま通り過ぎた。高校生たちは顔を見合わせながら、すたすたと先に行ってしまったツキヤのあとを、慌てて追う。
 わたしたちと二メートルほど離れた席に、高校生たちは座った。高校生たちの声は大きかったから、会話は意識しなくてもぜんぶ聴こえた。あれ、誰だよ、と高校生のうちのひとりが尋ねた。それからツキヤの返事が聴こえた。さぁ、とツキヤは、ちょっとだけ寂しそうな声で、笑いながら言った。
「知らねぇし、関係ねぇよ」
 ナミエが座る。わたしはちらりと、ナミエの顔を見る。ナミエは苦笑していた。笑顔の作りかけみたいな表情が、そこにはべったりと張り付いている。そんなナミエの顔を、わたしはそのとき、初めて見た。とても気持ちが悪くなった。ナミエは唇を開く。今日のナミエはメイクをしている。薄いルージュを引いた、小さな唇が、ふるえている。
 なみえが、と、ナミエは言った。
「なみえが、女子高生だったら、よかったのかな」
 わたしが黙っていると、ナミエは、続けた。
「なみえが、女子高生だったら……ツキヤは、気付いて、くれたかな?」
 わたしは何も言えなかった。ただ、不幸なことに、今日はケイトがいない。わたしは荷物と、水がまだ少しだけ入った紙コップを持って、立ち上がった。そして高校生たちの座っている席の前まで行った。高校生たちはわたしの顔を露骨に見つめたけれど、その中で唯一、ツキヤだけは、わたしからそっぽを向いた。そしてわたしは、そんなツキヤの顔にめがけて、コップの中の水を放った。
 唖然とした表情のまま、水の滴る髪の毛を揺らして、ツキヤがこちらを見る。ぷちん、っていう音が聴こえた。一瞬、時間がぴたっと、その場で足踏みをした。わたしは口を開いた。
「ふざけるな」
 それを言うのだけで、もう、精一杯だった。わたしはナミエの腕を引っつかんで、店内から出た。携帯電話を開く。ケイトは、ワンコールで電話に出た。どうしたの、という声を小さな機械の中に聴いたとたん、わたしはなんだかすごく安心して、自分はもしかしたら、ケイトのことが好きなのかもしれないと、そんなことを、ふと思った。


 ツキヤだって、嫌なやつじゃないんだよとケイトは言った。わたしは頷く。そんなことは分かっていた。
「ただ、ツキヤはもう、戻りたくなかったんだよ」
「ここに?」
「ここ、ってだけじゃないけど。もっと、色んな意味とか、場所とかを含めてね。ツキヤは、遠くに行きたかったんだよ。せめて、ここを歩いていく高校生たちが立っているのと、同じ場所にね。この地下街は、きっと、ツキヤには狭すぎたんだ」
 ふぅん、とわたしは頷く。そして、この前の教室を想像する。あそこはそんなに広い場所だったっけ。あそこはそんなに遠い場所だったっけ。わたしはよく分からない。わたしにとっては、同級生が密集したあの空間よりも、この地下街の方がよっぽど広いと思う。空気もおいしいし、そして何より、あったかい。ここには、色んな人の足音が、ぱたん、ぱたんと、いつでも鳴っている。
 そんなことを話すと、それは価値観の違いだよ、とケイトは笑った。じゃあケイトはどう思うのか、と訊くと、彼はちょっとだけ首をかしげて、おれはここが好きだからと答えた。それはすごく曖昧な答えだったけれど、わたしはそっかと頷くだけで、その話題を終えた。好きとか、嫌いとか、そういうことに、理由なんていらない。それはたぶん、朝食はパンかごはんかを選ぶのと、大して変わらない。ツキヤも、たぶん、同じだったのだと思う。たまたま、ツキヤはシリアルだっただけで。
 わたしはまた、いつもの通り路上に転がっているナミエを、小さく蹴る。意外なことに、今日のナミエはしっかりと起きていて、もぞもぞと頭だけを動かし、うつ伏せのままわたしを見た。いもむしみたいだ。
「あったかいって」ナミエはにまっと笑う。「なみえ、分かるよ」
「どういう意味?」
「ここはね、三十六度なの。ここの地面は、ひとの体温とね、変わらないんだ。だから、気持ちいいの。ここに寝転がると、すごく、安心する――それで、女子高生じゃなくっても、まぁ、いいかって。そう、思うの」
 ナミエはよいしょと起き上がって、同じ位置に座りなおした。わたしは手のひらを、地面にぴったりと押し付ける。ざらざらしている。がさがさしている。これがナミエの感じている体温なんだ、と思う。そしてわたしたちは、こんなものから、脱け出せずにいる。高校生たちが、教室で感じている三十六度を、わたしたちは、こんなものから感じている。
「……ナミエ」 
「なぁに」
「明日、学校、行こうよ。ケイトも、ねえ。みんなで、行こうよ。ねえ、」
 ナミエとケイトは、目を丸くして、わたしを見ていた。わたしは奥歯を噛みしめていた。悔しい、と久しぶりに思った。どこからその感情が来たのか、自分でもよく分からなかった。ただ、うん、と頷いてくれたふたりの笑顔に、わたしはほっとする。慌てて、笑う。
 わたしたちは、まだサナギだった。きっともうすぐ、そのサナギは、三人分の高校生に生まれ変わる。地下街の匂いが染みついた女子高生。悪くない、とわたしは思って、また地面に転がったナミエのとなりに、ゆっくりと、自分の体を横たえた。わたしたちの、匂いがした。

fin
(2009.10.27)

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